『海辺のカフカ』と『物質と記憶』
「やれやれ、こんなすげえの、初めてだよ」、星野さんは浴槽にゆっくりと身を沈めて言った。
「こんなの、まだ手始めなんだから」と女は言った。「これからもっともっとすごいやつがあるんだよ」
「でも気持ちよかったよ」
「どれくらい?」
「過去のことも未来のことも考えられないくらい」
「『純粋な現在とは、未来を喰っていく過去の捉えがたい進行である。実を言えば、あらゆる知覚とはすでに記憶なのだ』」
青年は顔をあげ、口を半分あけて、女の顔をみた。「それ、何?」
「アンリ・ベルグソン」と彼女は亀頭に唇をつけ、精液の残りを舐めてとりながら言った。「うっひふほひおふ」
「よく聞こえない」
「『物質と記憶』。読んだことないの?」
『海辺のカフカ 下』p.77
Votre perception, si instantanée soit-elle, consiste donc en une incalculable multitude d'éléments remémorés, et, à vrai dire, toute perception est déjà mémoire. Nous ne percevons, pratiquement, que le passé, le present pur étant l'insaisissable progrès du passé rongeant l'avenir.
原文: Matière et mémoire(1896)
Your perception, however instantaneous, consists then in an incalculable multitude of remembered elements; and in truth every perception is already memory. Practically we perceive only the past, the pure present being the invisible progress of the past gnawing into the future.
英訳版: Zone Books(1990) “Matter and Memory” N.M. Paul and W.S. Palmer.
それ故に吾々の知覺は如何に瞬間的であつても計算し得ざる程多くの記憶要素から成るものである。また事實、如何なる知覺と雖も既に記憶である。實際的には吾々は唯過去のみを知覺してゐるのであつて、純粹なる現在は未來に喰ひ入る捕捉しがたき過去の進行である。
岩波文庫(1953)『物質と記憶』高橋里美 p.187 過去の現在に對する關係
だから諸君の知覚はたとえ瞬間的であっても、計算できないほどたくさんの思い出される諸要素からなっていて、本当は、あらゆる知覚はすでに記憶力なのだ。純粋な現在とは未来を侵食する過去のとらえ難い進行なのだから、私たちは実際上過去を知覚するのみである。
白水社(1999)『物質と記憶』田島節夫p.170 過去と現在の関係
あなたの知覚はどれだけ瞬間的であろうと、このように、数え切れないほど多くの思い出された諸要素から構成されているのであり、実を言うと、すべての知覚はすでに記憶なのである。われわれは、実際には、過去しか知覚していない。純粋な現在は、未来を侵食する過去の捉え難い進展なのである。
ちくま学芸文庫(2007)『物質と記憶』合田正人, 松本力 p. 215 第三章 イマージュの残存について 過去と現在の関係
あなたの知覚は、それがどれほど瞬時のものであろうとも、数え切れないほど多数の想起された要素群から構成されているというわけだ。そして、本当のことを言えば、あらゆる知覚はすでにして記憶なのである。われわれは、実際上、過去しか知覚していない。なぜなら、純粋現在とは、過去が未来を蚕食してゆく捉えがたい進展であるからだ。
白水社(2011)『 物質と記憶 ― 身体と精神の関係についての試論 (新訳ベルクソン全集第2巻)』
あなたの知覚は、だからそれがたとえ瞬間的なものであったとしても、数えきれないほどの数をふくむ、思いおこされる要素からなっているから、ほんとうのところ、あらゆる知覚はすでに記憶(メモワール)なのである。私たちはじっさいには、過去しか知覚することができない。いっぽう純粋な現在は、過去が未来へと食いこんでゆくとらえがたい進行なのである。
[試訳] たとえ一瞬の知覚でも、無数の想起がそれを構成している。実のところ、あらゆる知覚は既に記憶なのだ。事実上 人が知覚するのは過去のみで、純然たる現在とは未来を侵食する過去の捉えがたい進行をいう。
邦訳で傍点が施されていた箇所は太字で示した。