『海辺のカフカ』と『物質と記憶』

 

「やれやれ、こんなすげえの、初めてだよ」、星野さんは浴槽にゆっくりと身を沈めて言った。

「こんなの、まだ手始めなんだから」と女は言った。「これからもっともっとすごいやつがあるんだよ」

「でも気持ちよかったよ」

「どれくらい?

「過去のことも未来のことも考えられないくらい」

「『純粋な現在とは、未来を喰っていく過去の捉えがたい進行である。実を言えば、あらゆる知覚とはすでに記憶なのだ』」

青年は顔をあげ、口を半分あけて、女の顔をみた。「それ、何?

「アンリ・ベルグソン」と彼女は亀頭に唇をつけ、精液の残りを舐めてとりながら言った。「うっひふほひおふ」

「よく聞こえない」

「『物質と記憶』。読んだことないの?」

海辺のカフカ 下』p.77

 

Votre perception, si instantanée soit-elle, consiste donc en une incalculable multitude d'éléments remémorés, et, à vrai dire, toute perception est déjà mémoire. Nous ne percevons, pratiquement, que le passé, le present pur étant l'insaisissable progrès du passé rongeant l'avenir.

原文: Matière et mémoire(1896)

 

Your perception, however instantaneous, consists then in an incalculable multitude of remembered elements; and in truth every perception is already memory. Practically we perceive only the past, the pure present being the invisible progress of the past gnawing into the future.

英訳版: Zone Books(1990) “Matter and Memory” N.M. Paul and W.S. Palmer.

 

それ故に吾々の知覺は如何に瞬間的であつても計算し得ざる程多くの記憶要素から成るものである。また事實、如何なる知覺と雖も既に記憶である。實際的には吾々は唯過去のみを知覺してゐるのであつて、純粹なる現在は未來に喰ひ入る捕捉しがたき過去の進行である。

岩波文庫(1953)物質と記憶』高橋里美 p.187 過去の現在に對する關係

 

だから諸君の知覚はたとえ瞬間的であっても、計算できないほどたくさんの思い出される諸要素からなっていて、本当は、あらゆる知覚はすでに記憶力なのだ。純粋な現在とは未来を侵食する過去のとらえ難い進行なのだから、私たちは実際上過去を知覚するのみである。

白水社(1999)物質と記憶』田島節夫p.170 過去と現在の関係

 

あなたの知覚はどれだけ瞬間的であろうと、このように、数え切れないほど多くの思い出された諸要素から構成されているのであり、実を言うと、すべての知覚はすでに記憶なのである。われわれは、実際には、過去しか知覚していない。純粋な現在は、未来を侵食する過去の捉え難い進展なのである。

ちくま学芸文庫(2007)物質と記憶合田正人, 松本力 p. 215 第三章 イマージュの残存について 過去と現在の関係

 

あなたの知覚は、それがどれほど瞬時のものであろうとも、数え切れないほど多数の想起された要素群から構成されているというわけだ。そして、本当のことを言えば、あらゆる知覚はすでにして記憶なのである。われわれは、実際上、過去しか知覚していない。なぜなら、純粋現在とは、過去が未来を蚕食してゆく捉えがたい進展であるからだ。

白水社(2011)『 物質と記憶 ― 身体と精神の関係についての試論 (新訳ベルクソン全集第2巻)』

 

あなたの知覚は、だからそれがたとえ瞬間的なものであったとしても、数えきれないほどの数をふくむ、思いおこされる要素からなっているから、ほんとうのところ、あらゆる知覚はすでに記憶(メモワール)なのである。私たちはじっさいには、過去しか知覚することができない。いっぽう純粋な現在は、過去が未来へと食いこんでゆくとらえがたい進行なのである。

岩波文庫(2015)『物質と記憶熊野純彦 p298 過去と現在との関係


[試訳] たとえ一瞬の知覚でも、無数の想起がそれを構成している。実のところ、あらゆる知覚は既に記憶なのだ。事実上 人が知覚するのは過去のみで、純然たる現在とは未来を侵食する過去の捉えがたい進行をいう。

 

 

邦訳で傍点が施されていた箇所は太字で示した。

大槻文彦『ことばのうみのおくがき』

仮名づかいや漢字表記、句読点などに手を加えた。原文縦書き。(青空文庫大槻文彦 ことばのうみのおくがき)

大槻文彦『ことばのうみのおくがき』

17年を振り返る

先人、かつて文彦らに「王父が戒語なり」とて語られけるは「およそ事業はみだりに興すことあるべからず。思い定めて興すことあらば『遂げずばやまじ』の精神なかるべからず」と語られぬ。おのれ不肖にはあれど、平生この戒語を服膺す。本書、明治8年起稿してより今年に至りて初めて刊行の業を終えぬ。思えば17年の星霜なり。ここに過去経歴の跡どもを大方に書きつけて、後の思い出にせんとす。見ん人、そのくだくだしきを笑いたまうな。

 

 編集を命じられる

明治7年、おのれ仙台にありき。こは、その前年、文部省の仰せを承りて、その地に宮城師範学校というを創立し、校長を命ぜられて在勤せし折りなりけり。さるに、この年の末に本省より特に帰京を命ぜられて、8年2月2日、本省報告課(明治13年に編集局と改められぬ)に転勤し、ここに初めて日本辞書編集の命あり。これぞ本書編集着手の始めなりける。時の課長は西村茂樹君なりき。

 

 かつて頓挫した『語彙』

その初めは、榊原芳野君とともに編集の仰せを被りたりしに、幾ほどなくて榊原君は他に移りて、おのれ一人の業とはなりぬ。後に聞けば、初め辞書編集の議おこれる時、和漢洋を具備せる学者数人召し集められんの計画にて、おのれは那珂通高君の薦めなりきとか聞きつる。またこれより先に、編集寮にて『語彙』を編集せしめられしに、碩学7, 8人して2, 3年の間に、僅かに「あ, い, う, え」の部を成せりき。横山由清君もその一人なりしが、再挙ありと聞かれて、意見を述べられけるは「『語彙』の編集、議論にのみ日を過ぐして成功なかりき。多人数ならんよりは、大槻一人に任せられたらんには、かえって全功を見ることあらん」と言われたりとなり。このこと横山君の直話なりとて、後に清水卯三郎君、おのれに語られぬ。この業の、おのれ一人の事となれるは、かかる由にてやありけん。

 

着手当初の苦労

初め、編集の体例は簡約なるを旨として、収むべき言語の区域、または解釈の詳略などは、およそ米国のウェブスター氏の英語辞書中の『オクタボ』という節略体のものに倣うべしとなり。おのれ命を受けつる始めは、壮年鋭気にして思えらく「オクタボの注釈を翻訳して、語ごとに埋め行かんに、この業、難からず」と思えり。これより、従来の辞書体の書、数十部を集めて、字母の順序をもって、まず古今雅俗の普通語と思う限りを採集・分類して、解釈のありつるは合わせて取りて、そのほか東西洋おなじ物事の解は、英辞書の注を訳して差し入れたり。かくすること数年にして通編を終えて、さて初めに帰りて、各語を追いて見もて行けば、注の成れるは早く成りて、成らぬは成らず、語のみ印つけて、その下は空白となりて、老人の歯の抜けたらんようなる所、一葉ごとに5~7語あり。古語・古事物の意の解きがたきもの。説のまちまちなるもの。8品詞の標別の下しがたきもの。語源の知られぬもの。動詞の語尾の変化の定めかぬるもの。仮名づかいの拠る所なくして順序を立てがたきもの。動植物の英辞書の注解に拠りたりしものの、仔細に考え分くれば、物は同じけれども、形状色沢の、東西の風土によりて異なるもの。そのほか雑草、雑魚、小禽、魚介、さては俗間通用の病名などに至りては、支那にもなく、西洋にもなく、邦書にも徴すべきなきが多し。かく一葉ごとに5~7語ずつ、注の空白となれるもの、これぞこの編集業の盤根錯節とはなりぬる。

 

言葉の海のただなかで

筆とりて机に臨めども、いたずらに望洋の嘆を起こすのみ。言葉の海のただなかに楫緒絶えて、いずこをはかと定めかね、ただその遠く広く深きに呆れて、おのが学びの浅きを恥じ責むるのみなりき。さるにても「興せる業はやむべきにあらず。王父の遺戒はここなり」と、さらに気力を奮い起こして、及ぶべき限り引用の書を集め、また有識に問い、書につき、人につき、ここに求め、かしこに質して、大方にも解釈し、かたわら、また別に一業を興して、数十部の語学書を集め、和洋を参照・折衷して、新たに自ら文典を編み成して、ついにその規定によりて語法を定めぬ。この間に年月を徒費せしこと実に予想の外にて、およそ本書編成の年月はこの盤根錯節のために費やせること過半なりき(この間に他書の編纂校訂など命ぜられ、また音楽取り調べ係り兼勤となりしことも数年なりき)。

 

語源の探究

解釈を探れる事につきて、その一つ二つを言わん。某語あり。語源つまびらかならず、外国語ならんの疑いあり。ある人偶然に「そは何人か、スペイン語ならんと言えることあり」と言う。さらばとて西英対訳辞書を求むれど得ず。「何某ならばスペイン語を知らん、君その人を知らば添書をたまえ」とて、やがて得てその人を訪う。不在なり。再び訪いて会えり。

「おのれは深くは知らず」

「さらば君が知れる人に、スペイン語に通ぜる人やあらん」

「某学校に、その国の辞書を蔵せりと覚ゆ」

「さらば添書をたまえ」

とて、さらにその学校に行きて、ついにその語源を知ることを得たりき。

 

いつでもどこでも語釈の詮索

捕吏の、盗人を縦跡する言葉に「足がつく」「足をつける」ということあり。語釈の詮索も相似たりと、一人笑える事ありき。そのほか酒宴・談笑・歌吹の間にも、ゆくりなく人の言葉のふと耳に留まりて、はたと膝打ち「さなりさなり」と悟りて、手帳に書い付けなどして人の怪しみを受け、また汽車の中にて田舎人を捕らえ、その地方の方言を問いつめて、果てはうるさく思われつることなど、およそ、かかるおこなる事もしばしばありき。すべて、解釈の成れる後より見れば何の事もなきように見ゆるも、多少の苦心を込めつる多かり。

 

よく引き受けたものだ

おのれは漢学者の子にて、わずかに家学を受け、また王父が蘭学の遺志を継ぎて、いささか英学を攻めつるのみ。国学とては、さらに師事せし所なく、受けたる所なく、ただおのが好きとて、若干の国書を見渡しつるまでなり。さるを思えばその初め、かかる重き編集の命を、おおけなくも、否まず承りつるものかな。「辞書編集の業、碩学すら悩めるはこれなりけり」と思い得たるに至りては、初めの鋭気とみに挫けて、心そぞろに畏れを抱くに至りぬ。また局長には「おのれが業の捗らぬをいかにか思わるらん。怠りおるとや思いおらるらん」など思うに、そも局長西村君はその初め、この業をおのれに命ぜられてより久しき歳月を渡れるに、更にいかにと問われし事もなく、促されし事もなし。その意中推し測りかねて、常に恥ずかしく思えりき。

 

パトロン西村茂樹

さるに、明治16年の事なりき。阿波の人井上勤君、編集局に入り来られぬ。同君まず局長に会われし時に、局中には学士も済々たらん。「なにがし」「くれがし」と話し合われたる時、局長の言わるるに「ここにひとり奇人こそあれ。大槻のなにがしという。この人、雑駁なる学問なるが、本邦の語学はよく調べてあるようなり。かねて一大事業を任せてより、今は早や10年に近きに、なお倦まずして打ちかかりてあり。強情なる士にこそ」と話されぬ。と、井上君入局して後に、ゆくりなくおのれに語られぬ。おのれこの話を聞きて「局長の意中も、さては」と感激し、またその「強情おとこ」の月旦は、おのれが立てつる筋を洞見せられたりけり。「人の己を知らざるを憂えず」の格言もこれなりなど思いて、嬉しいというも余りありき。げにや、そのかみの官衙の有り様は、倏忽に変遷することありて、局も人も事業も、10年の久しきに継続せしは稀有なる事にて、おのれがこの業は、都下熱閙の市街の間にありて、10年の間、火災に焼け残りたらんがごとき思いありき。そもこの業の成れるは、おのれが強情など言わんはおおけなし。ひとえに局長が心の寄せ一つに成りつるなりけり。西村君は、実にこの辞書成功のパトロンとや言わまし。

 

イギリス行きの話

そのかみは、官途も今のごとくにはあらず。奉承栄達の道も、今よりは容易かりきと覚ゆ。同僚は時めきて移れるも多し。おのれに親しく栄転を勧めたりし人さえも、一人二人にはあらざりき。されど、かかる事にて心の動く時は、つねに王父の遺戒を瞑目一思しぬ。明治11年6月、おのが父にておわする人、78歳にして身まかられぬ。老いたまいての上の天然の事とはいえ、今さらの事にて、悲しきこと限りなし。今よりは難義の教えを受けんことも叶わずと思えば心細し。辞書の成稿を見せ参らせんの心ありしかども、その甲斐もなし。こののち幾ほどなき事なりき、同郷なる富田鉄之助君ロンドンに在勤せられて「来遊せよかし。おのれ、いかにもして扶持せん」など厚意もて言い起こせられたり。君の我を愛せらるること今に始めぬ事ながらと感喜踊躍して、さて思えらく「かかる機会は多く得べからず。父の養いは既に終えつ。おのれは次子なり。家兄は存せり。家の祭り、母の養い、託すべき人あり。また妻もなく子もなし。幾年にてもあれ、海外に遊びてあられん程はあらん。いずこにも青山あらん。海外にて死にもせん。さらばこの土に、何をか一事業を留めて行かん。その業はすなわちこの辞書なるめり。いよいよ半途にしてやむべきにあらず」。かく思いなりて、さてその頃おのれは本郷に住めり。父を養わんために営みつる屋敷なりけり。かかる事の用にとならば亡き霊も否みたまわじ、など思い定めて、やがて、そを売りて二千余金を得、これに蓄余を加えなどして腰纒を調えて、さて、ひたぶるに辞書の成業を急ぎぬ。されども例の盤根錯節は容易く解けやらず、今は困じに困じて「推辞せんか躱避せんか」「捨てん捨てじ」の妄念、幾たびか胸中に戦いぬ。されどかかる折りには例の遺戒を思い出でて、しばしば思い静めぬ。かくて心のみ逸りて、心ならずも日を過ぐせるうちに、当時、楮幣・洋銀の差、大いに起こりて、備えつる腰纒は思い量りし半ばばかりとなり、幾ほどなく富田君も帰朝せられて、いよいよ呆然たり。さてこそ、この願望は一睡妄想の夢とは醒めたれ。

 

費やした犠牲は報われる

およそ、この辞書編集10年間は、おのれが旺壮の年期なりしを、全くこの事業の犠牲とはしたりき。よく世と推し移りたらましかば、かばかり沈滞もせざらまし。今はやみなん。さはあれど、またつらつら人の上を顧み思うに、時めかしつるも、変遷しぬるも、さてその10数年間、何の業をか成せると見れば「黄粱一夢」「鴻爪」「刻船」のさまなるも多かり。我には、数ならねどこの10年間の事業は痕を留めたり。相乗除せば、さまで繰り言すべくもあらじ。まして箕裘を継ぎつる上はこの文学の道にかくてあらんは、おのれが分なり。さるにても世の操觚の人は、史文に綺語に、とかく花も実もありて、声聞・利益を博せん方にのみ就くに、おのれはかかる至難にして、人後につき名も利も得らるまじき埋もれ木わざに半生を埋みつるは、迂闊なる境涯なりけり。されどこの業、文学の上に、誰か必要ならずとせん。必要なる業なれど人は捨てて就かず、おのれは人の捨てつる業に殉せり。いささか本分に報ゆる所ありともせんかし。

 

原稿の再訂終わる

本編引用の書に至りては、謹みて中外古今碩学が賜物を拝す。実に皆その辛勤の余沢なり。家に蔵せる父祖が遺著・遺書の恵み、また少なからず。編集中の質疑に至りては、黒川真頼、横山由清、小中村清矩、榊原芳野佐藤誠実など諸君の教え、謝し思う所なり。しかして稿本成りて、名を言海とつけられしは、佐藤誠実君の考選に出でたり。稿本の浄書を始めつるは明治15年9月にて、局中にて、中田邦行・大久保初男の二氏をこの編集業につけられ、校字写字は大方この二氏の手に成れり。さて初稿成れりし後も、常に訂正に従事して、その再訂の功を終えたるは実に明治19年3月23日なりき。

 

文部省は冷たく、自費出版

さて局長西村君は前年転任せられ、おのれも19年11月に第一高等中学校教諭・古事類苑編纂委員などに移りて、本書出版の消息なども聞く所あらず。ひととせ故文部大臣・森有礼君の邸に饗宴ありし時、おのれも招かれて、宴過ぎて後に、辻新次君と鼎坐して話し合える折りにも「君が多年苦心せる辞書、出版せばや」など、大臣親しく言い出でられつる事もありしが、編集の拙き、出版に堪えずとにや、あるいは資金の出所なしとにや、その事もやみぬ。かくて稿本は文部省中にて、久しく物集高見君がもとに管せらると聞きしが、いかにかなるらん。果て果ては、いたずらに紙魚の住みかとも成りなんなど、思い出いでぬ日とてもあらざりしに、明治21年10月に至りて、時の編集局長・伊沢修二君、命を伝えられて「自費をもって刊行せんには、本書稿本、全部下賜せらるべし」となり。誠に望外の命を承りて、恩典、枯骨に肉する思いあり。すなわち私財をかき集めて資本を備え、富田鉄之助君および同郷なる木村信卿君・大野清敬君の賛成もありて、いよいよ心を強うし、踊躍して恩命を拝しぬ。かくて編集局の命にて

・必ず全部の刊行を果たすべし

・刊行の工事は同局の工場に託すべし

・編首に、本書はおのれ文部省奉職中編纂の物たることを明記すべし

・若干の献本すべし

などいう約束を受けて10月26日、稿本を下賜せられ、やがて同じ工場にて私版として刊行する事とはなりぬ。

 

訂正・校正の2年半

刊行の初め、中田大久保の二氏、閑散なりしかば、家に宿して、活字の校正せんことを託しぬ。稿本も初めは初稿のままにて、直ちに活字に付せんの心にて、本文の初めなる数ページは実にそのごとくしたりしが、数年前の旧稿、今に至りて仔細に見もて行けば、あかぬ所のみ多く出できて、重ねて稿本を訂正する事とし、校訂塗抹すれば、二氏浄書して直ちに活字に付し、活字は初めより2回の校正と定めたれば、一版面、3人して6回の校正とはなりぬ。かくてより今年の落成に至るまで、2年半の歳月は、世の交じらいをも絶ちて、昼となく夜となく、ただこの訂正校合にのみ打ちかかりて、さらに他事を顧みず。さてまた編中の体裁も注釈文も初稿とは大いに面目を改めぬ。

 

刊行の計画

本書刊行の初めに編集局工場と約して、全部明年9月に完結せしめんと予算したり。また書林は、旧知なる小林新兵衛、牧野善兵衛、三木佐助の三氏に発売の事を託せしに「予約発売の方法よからん」と勧めらるるに従いて、全部を4冊に分かちて、第1冊は3月、第2冊は5月、第3冊は7月、第4冊は9月中に発行せんと仮定しぬ。さるにこの事業、いかなる運にか、初めより終わりまで常に障害にのみ遭いて、一つも予算のごとくなることあたわず、ついに完結までに2年半を費やせり。いま左にその障害の著きものを記さん。

 

印刷所の都合

明治22年3月に至りて、編集局の工場を仮に印刷局につけられたる由にて、その事務引き継ぎのためにとて、数十日間、工事の中止に遭い、さて23年3月に至りて、編集局の工場はついに全く廃せられぬ。これより後は一私人として、さらに印刷局に願い出でずては叶わず、その出願には規則の手続きを要せらるる事ありて、予算に違える事も起こりしかば、編集局に愁え申す事どもありしかど、今は詮方なしとて退けられぬ。稿本下賜の恩命もあれば、強いて違約の愁訴もしかねて、それより家兄修二、佐久間貞一君、益田孝君などの周旋を得て、とかくの手続きして、辛うじて再着手とはなれり。この間も中止せられぬること六十余日に及びぬ。またこの前後、公用刊行のもの輻輳する時は、おのれが工事は差し置かれたる事もしばしばなりき。かく数度の障害には遭いつれど、この工事を他の工場に託せんの心は起こらざりき。さるは、同局の工事は、言うまでもなき事ながら、植字に校正に、謹厳精良なる事、麻姑を雇いて痒処を掻くがごとく、また他にあるべくもあらざればなり。見ん人、本書を開きて目留めよかし。

 

校正者の死

さてまた本書植字の事、原稿の上にては、さまでとも思わざりしが、さて着手となりてみれば、仮名の活字は異体別調のものなれば、寸法いちいち同じからず、そのほか種々の符号など、全版面におよそ七十余通りの使い分けあり。植字校正の煩わしきこと熟練の上にても捗らず、いかに促せども進まず。また辞書のことなれば、母型に無き難字の、思いの他に出できて、木刻の新調にいとまを費やせる事はなはだ多し。およそこれらの事、予算には思い設けぬ事どもにて、すべて遅延の事由とはなりぬ。また校正者中田邦行氏、脳充血にて22年6月に失せられぬ。本書の業につきてはその初めより、大久保氏とともに助力、大方ならず、多年、編中の文字符号に熟練せる人を失いて、いといと困じぬ。また去年の春、流行性感冒行われ、年の末より今年にかけて再び行われ、おのれも校正者も植字工もこの前後、再度の流行に数日間倒れぬ。また去年の10月、おのが家、壁隣の火に遭えり。また校正者大久保初男氏、その11月、徳島県中学校教員に赴任せられて、頼める一臂を失いて、いよいよ困じぬ。およそこれらの事、皆この書の遭厄なり。これより後は先人の旧門なる文伝正興氏に託して、校正の事を担任せしめぬ。

 

娘を亡くす

遭厄の中に最も堪えがたく、また成功の期に近づきて大いにこの業を妨げつるは、おのれが妻と子との失せつる事なりけり。ここには不要にもあり、くだくだしゅうもあれど、おのれの身に取りては、この書の刊行中の災厄とて、最も後の思い出とならん事なるべければ、人の見る目にも恥じず記し付けおかんとす。去々年11月に生まれたるおのが次女の「えみ」と言える。生れてよりいと健やかなりしが、去年10月の20日ばかりより、感冒して、後に結核性脳膜炎とはなれり。医高松氏が病院に、妻小婢(いそ)と共に託せしに、病性よからずして心を悩ましぬ。朝夕に行きては労わしき顏を守り、帰りては筆を執れども、心も心ならず。11月16日の、まだ宵の間に、まさに原稿の「ゆ」の部を訂正して、琴の押し手の「ゆしあんずるに」「ゆの音、深う澄ましたり」などいう条を推考せる折りに、小婢、病院より馳せ帰りきて、家に入りて、物をも言わずそのまま打ち伏し声立てて泣く。病の危篤なるを告ぐるなり。筆を投げ打ち、決起して走り行けば、煩悶しつつやがて事切れぬ。泣く泣く屍を抱きて家に帰り、床に安して、さて、しめやかに青き灯の下に勤めて再び机に就けば、稿本は開きて元のごとし。見れば源氏の物語・若菜の巻「さりとも、琴ばかりは弾き取り給いつらん…昼はいと人しげく、なお一度もゆしあんずる暇も、心慌ただしければ、夜々なん静かに」。「ゆ」は「揺すること」なり。「あんずる」は「按ずる」にて「左手にて弦を揺り押す」なり。また紅葉の賀の巻「箏の琴は…いと美しゅう弾き給う、小さき御程に、さしやりてゆし給う御手つき、いと美しければ」「おのれが思いなしにや、読むにえ堪えで机おしやりぬ。この夜一夜、おのれが胸は、ゆしあんぜられて夢を結ばず」「死にし子、顏よかりき」「おんな子のためには、親、幼くなりぬべし」など、紀氏の書き残されたりつるを寂し思える事もありしが、今は我が身の上なり。「むべなり」など思いなりぬ。

 

そして妻も

この小児の病に心を痛めつるにや、打ち続きて、家の内に、母にておわする人を初めとして、病に伏す者5人に及びぬ。妻なる「いよ」嘆きの中にも、ひとり甲斐甲斐しく人々の看病してありしが、妻もついにこの月の末つ方より病に伏しぬ。初めは何の病とも認めかねたるに、数日の後、腸チブスなりとの診断を聞きて、驚きて本郷なる大学病院に移して、また昼に夜に行き通いて病を見、病の暇を窺いては帰りて校訂の業に就けども、心はここにあらず。洋医ベルツ氏も心を尽くされけれど、遂に12月21日に30歳にて儚くなりぬ。いかなる故にてか、かかる病にはかかりつらん。年頃よく母に仕え我に仕え、この頃の我が辛勤を察して、よそながら、いたく心を痛め、はた家政の苦慮を我に及ぼすまじと、一人思いを悩ましてまかないつつありける様なりしに、子の嘆きをさえ添えつれば、それら、ようよう身の衰弱の種とは成りつらん。さては子の失せつるも、衰弱せる母の乳にや基しつらん。「あぁ今の苦境も後にいつか笑いつつ語らわん」など語らいたりしに、今はその甲斐なし。半生にして伉儷を失い、重なる嘆きにこの前後数日は筆とる力も出でず、強いて稿本に向かえば、あなにく、「ろ」の部「露命」などいう語に出で合うぞ袖の露なる。巻を覆いて寝に就けば、角枕はまた粲たり。そも、かかる女々しく怯なき心を、ことごとしゅう書い付けおかんは、人笑われなる業にて、恥がましき限りなれど、この頃の筆硯の苦・人情の苦に、窮措大が嚢中の苦さえ総合しつる事なれば、後にこの書を見んごとに、おのれ一人が思いやりにせんとてなり。読まん人は哀れとも見許したまえや。

 

刊行遅れて嘘つき呼ばわり

本編刊行の久しき年月の内に、思い設けぬ災害の並び至れること、上に言えるがごとくなれど、誰人かおのれが心事を推し測りえん。されば予約せし人々は元より内情を知らるべきならねば、いつも厳しく遅延を促されて、発行書林の店頭には、毎回の督責状、うず高きまでになりぬ。書林はまたおのれを責めぬ。そが督責状なりとて持てくるを見れば、文面も様々にて、おかしきもあるが中に「大嘘槻(おおうそつき)先生の食言海」など記し付けられつるもありき。おのれは正しく約束を違えぬ。ひとえに謝する所なり。計画の至らざりしは、身を恨むるほかあるべからず。そもそも初めより予約という事せしこと、返す返すも誤りなりき。「予約だにせざりせば、かかる嘲りに遭うこともあらじを」など悔ゆれども詮無し。されど責めらるる辛さに、夜も更くるまで筆は取りつ。責めらる苦しさに、及ぶ限りは印刷の方にも迫りつ。それだにかく遅れたり。「責められざらましかばいかにかあらまし」など思えば、予約せしことも、僥倖なりきとも思いなしぬ。さて内外の苦情は身ひとつに集まり来て、陳謝に陳謝を重ねて、逃るべき道なくなりつ。また2年余りが程の座食に担石の儲けなきにも至りつ、今はせん術なくて、さては編中およそ7~8分より末は急ぎに急ぎて、十分なる重訂も得せられず、不用なるめりと思わるる語、または注に引ける例語の2つ3つあるなどは、愛を割きて削りて(編首の数ページは初稿のままなり。編末またかくのごとし。されば前後の詳略の釣り合わぬ所も、また符号などの揃わぬ所も出で来つらん)ひとえに完結の一日も早からん事をのみ期しぬ。されば初めには付録として、語法指南、字音仮名づかい、名乗り字の読み、地名苗字などの読みがたきもの、和字、訛字、または諺など添えんの心なりしかど(語法指南のみは編首に載せつ)今はしばらくここに閉じめて、再版の時を待つこととはせり。されど初めは、全編の紙数およそ1000ページと計りしが、大いに注釈を増補する所ありて、全部完成の上にては紙数2割ほどは増えつらん。これを乗除とも見よかし。

 

他の辞書編者への皮肉

辞書は文教の基たること、論ずるまでもなし。その編集功用の要はこの序文に詳しければ、さらにも言はず。されば文部省にても早くよりこの業に着手せられぬ。『語彙』の挙は明治の初年にあり。その後、田中義廉、大槻修二、小澤圭二郎、久保吉人の諸氏に命ぜられて、漢字の字書(本邦普通用の漢字を3000ばかりに限らんとて採集・解釈せるもの)と普通の日本辞書とを編せられつる事もあり。こは明治5年より7年にかけての事なりき。さて明治8年に至りて、おのが言海は命ぜられぬ。世はようよう文運に進みたり。辞書の世に出でつるも、今は一つ二つならず。明治18年9月、近藤真琴君の「ことばのその」発刊となれり。21年7月に物集高見君の「ことばのはやし」、22年2月に高橋五郎君の「いろは辞典」も刊行完結せり。近藤君は漢洋の学に通明におわするものから、その教授の忙わしきいとまにかかる著作ありつるは敬服すべきことなり。「この著作の初めに、おのれが文典の稿本を借してよ」とありしかば、借し参らせつれば、やがて全部を写されたり。されば8品詞その他の分かちなどはおのれが物と、名目こそはいささか変わりつれ、その筋は大方同じ様とはなれり。そのかみ、君を初めとして、横山由清、榊原芳野、那珂通高の君たちに会い参らせつるごとに「辞書はいかに」と問われたりき。「成りたらんには」とこそ思いつるに、今は皆世におわせず、写真に向かえども応えなし。哀しき事の限りなり。物集君は故高世大人の後とて、家学の学殖もおわするものから、これも教授に公務に、いとまあるまじくも思わるるに、綽々余裕ありて、その業を遂げられつること歎服せずはあらず。近藤君の著と共に、古書を読みわ分けん者に裨益多かりかし。「いろは辞典」はその選を異にして、通俗語・漢語多くて、動詞などは口語の姿にて挙げられたり。童蒙の助け少なからじ。三書おのおの長所あり。おのれが言海、誤りあるべからんこと言うまでもなし。されど体裁に至りては、別に自ずから出色の所なきにしもあらじ。後世いかなる学士の出でて辞書を編せんにも、言海の体例は必ずその考拠の片端に供えずはあらじ。また辞書の史を記さん人あらんに、必ずその年紀の片端に記し付けずはあらじ。自負の咎めなきにしもあらざるべけれど、この事はおのれ、いささか行く末をかけて信じ思う所なり。

 

言海の欠点

おのれ元より家道、豊かならず。されば資金の乏しきに困じて、物遠き語とては漏らしつる。出典の書名を省きつる。図画を加えざりつる。共にこの書の短所とはなりぬ。遺憾やらん方なし。そも、おのれが学の浅き才の短き、この上に多く立ち勝りて、別にし出でん事とてもあるまじけれど、今の目の前にてもあれ、資本だに継がば、これに倍せんほどのもの作り出でんは難からじなど、かけて思う所なきにしもあらず。されど我が国の文化は開けつるがごとく見ゆれど未だ開けず。資金を費やして完全せしめんには、価を増やさずはあるべからず。今の文化の度にては、物の品位に対して廉不廉などの比較は置きて言わず。ただ書籍なんど言わんものに、若干円という金出さんずる需用家の多からんとは、かけても望み得ず。されば、たとい資本を得たりとも、収支の合わざらん業はおこなりけりと思いなりて、志を出費の犠牲としてさてやみつるなり。昔の侯伯には、食前方丈、侍妾数百人を省きて、文教の助けとある浩瀚の書を印行せしもありき。今の世にはありがたかり。ここに至りて、韓文公が宰相への上書を思い出でて「あわれ、力ある人の一宴会の費えもがな」など卑しげなる硬い心も出で来るぞかし。やみなんなん、学者の貧しきは、和漢西洋、千里同風なりとこそ聞けれ。おのれのみ呟くべきにあらず。さりながら、この業もとより、この度のみにしてやむべきにあらず。年を追いて刪修潤色の功を積み、再版、3版、4, 5版にも至らん。天のおのれに年を仮さん限りは、斯文のためにたゆむ事あるべからず。

 

結語

今年1月7日、原稿訂正の功、全くしを経て、辛うじて数年の辛勤一頓し、さて今月に入りて、全部の印刷も遂に全く大成を告げぬ。ここに多年の志を達して、かつは公命に答え奉り、かつは父祖の霊を拝して、いささか昔日の遺戒に報い終わんぬ。明治24年4月 平文彦

 

追記

この文、もと、稿本の奧に書きつけおけるおのれが私物にて、人に示さんとての物ならず、17年が間の痕、忘れやしぬらん、後の思い出にやせん、とて筆立てしつる物なるが、事実を思い出ずるに従いて、儚き述懐も浮かび出ずるがまにまに、ゆくりなくも、弥が上にも書いつけもて行ける果て果ての、こうもくだくだしゅうは成りつるなり。さて本書刊行の成れるに及びて、跋文なし、人に頼まん暇はなし。「よしよし、この文を添えもし削りもして、その要とある所を摘まみて跋に代えん」など思い量りたりしに、今は日に日に刊行の完結を迫られて、改むべき暇さえ請いがたくなりたれば、やむことを得ずして、末に年月を加えて、浄書も得せずして、全文をそのままに活字に物する事とはなりにたり。さればこの文を読むことあらん人は、ただその心して読みたまえかし。もし、さる事の心をも思い量らず、打ちつけに読み取りて「ただ一部の書を作り成し得たればとて、世に事々しき繰り言もする人かな。心の底方こそ見ゆれ」などあながちに我を貶め言わん人もあらば、そは「丈夫を見ること浅きかな」と言わん。ただ返す返すも、ゆくりなき筆のすさびと見て放かしたまえや。

 

最後に

古今集

いにしえの事をも、筆の跡に著し、行きて見ん境をも、宿ながら知るは、ただこの道なり。しかのみならず、花は木ごとに咲きて、ついに心の山を飾り、露は草の葉より積もりて、言葉の海となる。しかはあれど、難波江のあまの藻汐は、汲めども絶ゆることなく、筑波山の松の爪木は、拾えどもなお繁し。

同(= 続古今集)賀

敷島や大和言葉の海にして拾いし玉は磨かれにけり 後京極

There is nothing so well done, but may be mended.*1

*1:「至善の業なお改革の余地あり」「手直しの必要がないほど優れた作品などない」の意

透谷の語彙

 

大型国語辞典の用例に透谷の文が採用されているものを収集。

重複する語は大辞泉を優先して基本的に省いたが、引用箇所が異なる場合は掲載。

 

出典の略号

内部生命論→内部

明治文学管見(文学史骨)→管見

厭世詩家と女性→厭女

各人心宮内の秘宮→秘宮

 

大辞泉

唯諾(いだく)...人の言うことをそのまま承知すること。『管見』在来の倫理に唯諾し、在来の道徳を墨守し

怪訝(かいが)...納得がいかず、けげんに思うこと。『厭女』少年の頃に、浮世を怪訝し、厭嫌するの情起り易きは

閑殺(かんさつ)...人の気持ちを暗くし、活気を失わせること。『熱意』冷淡は人を閑殺し

崎嶇(きく)...世渡りの厳しく困難なさま。『二宮尊徳翁』轗軻崎嶇たる人生の行路に遭いて

窮通(きゅうつう)...「窮達」に同じ。『管見』人間の窮通は機会の独断すべきものにあらずして

恟然(きょうぜん)...驚き恐れるさま。また、驚き騒ぐさま。恟々。『泣かん乎笑はん乎』人心何となく恟然たり

苦惨(くさん)...苦しくみじめなこと。『罪と罰』焔柱を抱くの苦惨を快とせしむる事あり

究竟(くっきょう)...つまるところ。畢竟。『内部』究竟するに善悪正邪の区別は

喧囂(けんごう)...がやがやとやかましくすること。『頑執妄排の弊』魚市に喧囂せる小民

現然(げんぜん)...明らかに見えるさま。『楚囚之詩』常に余が想像には現然たり

堅忍(けんにん)...我慢強くこらえること。『泣かん乎笑はん乎』堅忍し、励精し、以て人生の嶮山を越えしむるは

紅塵(こうじん)...俗人の住む世の中。また、俗世の煩わしさ。俗塵。『当世文学の潮模様』紅塵深く重りて厭う可き者多し

荒漠(こうばく)...荒れはてて寂しいさま。『秋窓雑記』荒漠たる原野

孤雲(こうん)...他に離れて空に浮かぶひとひらの雲。『山庵雑記』孤雲野鶴を見て別天地に逍遥するは

惨憺(さんたん)...薄暗くて気味が悪いさま。『楚囚之詩』余を…この惨憺たる墓所に残して

柵(しがら)む...絡みつく。まとわりつく。『「歌念仏」を読みて』親方の情に柵まれて

刺撃(しげき)...「刺激」に同じ。『明治文学管見』此時に当って横合より国民の思想を刺撃し

夙昔(しゅくせき)...昔から今までの間。以前から。『三日幻境』己が夙昔の不平は

常久(じょうきゅう)...いつまでも変わらずに続くこと。『内部』造化は常久不変なれども…人間の心は千々に異なるなり

盛壮(せいそう)...年若くて元気の盛んなこと。『厭女』所謂詩家なる者の想像的脳膸の盛壮なる時に

悽惻(せいそく)...悲しみいたむこと。『「歌念仏」を読みて』悽惻として情人未だ去らず

双輪(そうりん)...二つがそろってはじめて用をなす物事のたとえ。『管見』快楽と実用とは、文学の両翼なり、双輪なり

退譲(たいじょう)...自分を卑下して人に譲ること。『秘宮』自らを誇示するものあれば、自らを退譲するものあり

多恨(たこん)...うらむ気持ちや、後悔する気持ちの多いこと。『管見』人生は斯の如く多恨なり

断截(だんせつ)...たちきること。『心機妙変を論ず』発露刀一たび彼の心機を断截するや

朝暉(ちょうき)...朝日。『管見』玉露のはかなく朝暉に消ゆるが如く

凋衰(ちょうすい)...勢いを失うこと。『泣かん乎笑はん乎』公伯の益す昌えて農民の日に凋衰するを見ずや

通貫(つうかん)...つらぬきとおすこと。また、物事に広く通じていること。『楚囚之詩』曽つて万古を通貫したるこの活眼も

呈出(ていしゅつ)...ある状態を現すこと。『「日本の言語」を読む』英国は十五世紀以後、文学の大壮観を呈出せる土地にして

電影(でんえい)...いなびかり『富嶽の詩神を思ふ』山腹の電影よりも速に滅する浮世の英雄

悖逆(はいぎゃく)...正しい道などにそむくこと。『心機妙変を論ず』人を己れの慾情の為に殺害するの悖逆なるを知る

泛泛(はんぱん)...軽々しいさま。『一夕観』泛泛たる文壇の小星

沖(ひい)る...空高く舞い上がる。『ヱマルソン』東天に沖るが如く

飄忽(ひょうこつ)...急に出没するさま。忽然。『富嶽の詩神を思ふ』飄忽として去り

睥睨(へいげい)...横目でじろりとにらみつけること。『楚囚之詩』眼は限られたる暗き壁を睥睨し

漫語(まんご)... 「漫言」に同じ。『時勢に感あり』漫語する者あり、吾れ文学世界の一王なりと

沐浴(もくよく)...恩恵などを受けること。『管見』均しく王化の下に沐浴することとはなれ

雄豪(ゆうごう)...雄々しく強いこと。『楚囚之詩』真に雄豪なる少年にてありぬ

雄邁(ゆうまい)...気性が雄々しくすぐれていること。『厭女』彼の雄邁にして輭優を兼ねたるダンテをして

履践(りせん)...実行すること。『処女の純潔を論ず』桃青は履践し馬琴は観念せり

類同(るいどう)...似かよっていること。『厭女』是等の類同なる諸点あるが故に

 

 

大辞林

握取(あくしゅ)...しっかり保つこと。『管見』公共的の自由を…握取せる共和思想なり

暗索(あんさく)...分からないながらあれこれと探ってみること。『内部』人間の根本の生命を暗索する

化育(かいく)...天地自然が万物を作り育てること。『管見』然らざれば凡ての文明も,凡ての化育も虚偽のものなるべし

解綬(かいじゅ)...官職を辞すること。『管見』政治の枢機を握り,既に大小の列藩を解綬し

嘉讃(かさん)...ほめたたえること。『内部』此目的の外に嘉讃すべき写実派の目的はあらざるなり

刮目(かつもく)...目をこすってよく見ること。『管見』請ふ,刮目して百年の後を見ん

願求(がんきゅう)...願い求めること。『管見』必要とする器物もしくは無形物を願求するの性

煥発(かんぱつ)...輝くように現れ出ること。『管見』凡そ外交問題ほど国民の元気を煥発するものはあらざる也

願欲(がんよく)...そうなってほしいと願うこと。『管見』快楽を願欲するに至る時は

羈縛(きばく)...つなぎしばること。『管見』倫理道徳は人間を羈縛する墨縄に過ぎざるか

機務(きむ)...機密の政務。『管見』社会各般の機務に応ずべき用意を厳にせり

窮通(きゅうつう)...貧窮と栄達。『管見』人間の窮通消長は機会(チャンス)なるものゝ横行に一任するものなるか

喁々(ぎょうぎょう)…どうしてよいかわからず苦しむさま。『管見』人間生活の状態を観よ,蠢々喁々として,何のおもしろみもなく

嚮導(きょうどう)...先に立って導くこと。『管見』彼の改革は…国民の理想を嚮導したるものにあらず

享有(きょうゆう)...生まれながらもっていること。『内部』生命の泉源なるものは,果して吾人々類の享有する者なりや

禁囚(きんしゅう)...自由な動きを封じること。『管見』斯の如く意の世界に於て人間は禁囚せられたる位置に立つ

欽(きん)す...うやまう。『泣かん乎笑はん乎』其天真の照々として見る可き者あるを欽す

攻究(こうきゅう)...学芸などを深くきわめること。『管見』思想の歴史を攻究する

高上(こうじょう)...品位や程度がたかいこと。『内部』詩人哲学者の高上なる事業

吾人(ごじん)...一人称。『内部』吾人は人間に生命ある事を信ずる者なり

古昔(こせき)...いにしえ。『管見』この紅涙こそは古昔より人間の特性を染むるもの

砕折(さいせつ)...くだきおること。『管見』従来の組織を砕折し

再造(さいぞう)...もう一度つくること。『内部』人間の内部の生命を再造する者なり

察(さっ)する...詳しく調べる。『内部』一輪の花も詳に之を察すれば

孳々(じじ)...一生懸命に努力するさま。『管見』彼は孳々として物質的知識の進達を助けたり

自造(じぞう)...みずからの力でつくりだすこと。『内部』人間の自造的のものならざることを信ぜずんばあらざるなり

疾悪(しつお)...にくむこと。『管見』相疾悪するもの政府部内に蟠拠するあれば

自動(じどう)...他からの力によらず,自分の力で動くこと。『管見』思想の自動多きに居りたるなり

終古(しゅうこ)...永遠。『管見』精神は終古一なり,然れども人生は有限なり

蠢々(しゅんしゅん)...とるに足らないもののうごめくさま。『管見』人間生活の状態を観よ,蠢々喁々として

象外(しょうがい)...現実の世界を超越したところ。『三日幻境』天狗と羽を並べて,象外に遊ぶの夢に

浄潔(じょうけつ)...清くいさぎよいこと。『秘宮』極めて浄潔なる聖念に

象顕(しょうけん)...しるしやかたちとしてあらわれること。『内部』造化も亦た…神の形の象顕なり

情熱(じょうねつ)...英語 passion の訳語。北村透谷の造語とされる

喞々(しょくしょく)...悲しみ嘆くさま。『一夕観』喞々として秋を悲しむが如きもの

聖愛(せいあい)...きよらかな愛。『熱意』或は聖愛,或は痴情

済々(せいせい)...威儀がととのったさま。『管見』済々たる名士

悽惻(せいそく)...いたましく思うこと。『厭女』沈痛悽惻人生を穢土なりとのみ観ずる

制抑(せいよく)...勢いや動きをおさえ止めること。『管見』思想界には制抑なし

摂理(せつり)...代わって処理すること。『管見』北条氏は恰も番頭の主家を摂理するが如くなりしなり

潜逸(せんいつ)...ひっそりと隠れること。 『管見』文学は必らず活動世界を離れたる場所に潜逸するものなり

千古(せんこ)...遠い昔。『内部』内部の生命は千古一様にして

前古未曽有(ぜんこみぞう)...昔からかつてなかったほど珍しいこと。『管見』維新の革命は前古未曽有の革命にして

禅坐(ぜんざ)...座禅をすること。『心機妙変を論ず』暗中禅坐する時

創興(そうこう)...新しくつくって興すこと。『内部』平民的思想を創興せざるべからず

蒼生(そうせい)...多くの人々。『管見』天下の蒼生が朝夕を安んずること能はざる時

相対(そうたい)...互いに他との関係をもち合って成立・存在すること。↔絶対『管見』慰藉といふ事は…何物にか相対するものなり

対手(たいしゅ)...戦う相手。『心機妙変を論ず』対手を害せし事は事実なるべし

澹乎(たんこ)...静かでゆるやかなさま。『ヱマルソン』彼は澹乎として之を憂ひず

暢達(ちょうたつ)...のびそだつこと。『管見』泰平の来る時文運は必らず暢達すべき理由あり

沈冥(ちんめい)...静かで奥深いこと。『秘宮』第二の秘宮は常に沈冥にして無言

討究(とうきゅう)...物事を深く研究すること。『管見』討究しつつある問題

撞着(どうちゃく)...ぶつかること。『管見』一の私見と他の私見と撞着したる時に

特書(とくしょ)...特筆。『管見』特書すべき文学上の大革命なるべし

独存(どくそん)...単独で存在すること。『管見』精神に至りては始めより…独存するものなり

盤踞(ばんきょ)...広い土地に勢力を張って,そこを動かないこと。『管見』異分子の…政府部内に盤踞するあれば

蛮野(ばんや)...「野蛮」に同じ。『管見』尤も蛮野なる種族

飄落(ひょうらく)...おちぶれること。『心機妙変を論ず』志の壮偉なる事は全盛の平家を倒して孤島飄落の人を起す程にありて

標率(ひょうりつ)...算定の基準。『管見』事物の真価を論ずるに,其的,其結果,其功用のみを標率とする時は

冥契(めいけい)...言葉を交わさずに心が通うこと。『内部』瞬間の冥契とは何ぞ

黙従(もくじゅう)...だまって従うこと。『内部』自由の精神は造化に黙従するを肯ぜざるなり

揚言(ようげん)...公然と言うこと。『管見』文学は人生に相渉るべからずと揚言する愚人は

 

 

『漫罵』の語注

参考書籍とその略号

大修館書店『精選現代文改訂版』→「現文」

小学館『日本国語大辞典』→「日国」

小学館『日本国語大辞典 精選版』→「日精」

岩波書店『北村透谷選集』→「選集」

 

日国および日精の項目に『漫罵』や他の透谷作品からの引用があれば太字でその旨を示す。なお日国/日精で用例として取り上げられる文献は「その意味・用法について、もっとも古いと思われるもの」や「語釈のたすけとなるわかりやすいもの」である。

 

漫罵(まんば)…むやみにののしること

一夕(いっせき)…ある日の夕方、ある晩

歩(ほ)して…散歩して、歩いて

銀街(ぎんがい)…銀座のこと

第二橋(だいにばし)…もと築地川にかかっていた三原橋のこと

都城(とじょう)…都市、街中

繁熱(はんねつ)…『街のにぎわいや熱気』(現文)。『暑熱に苦しむこと。またその暑熱』(日国

燭影(しょくえい)…ともしびの影

詩興(しきょう)…詩を作りたくなる気持ち

岸上(がんじょう)…岸の上、川のほとり

建家(たてや・たちいえ)…建っている家、建物

品(ひん)す…品定めする、品評する。『出来具合を評価する』(現文)

白堊/白亜(はくあ)…白い塗料、チョーク

赤瓦(せきが・あかがわら)…『赤いレンガ』(現文)。『セメント製の赤色の瓦。食い合わせ式で、簡便な和洋折衷建築などに多く用いられる。転じて、安価な文化生活の称』(日精)。*1

国風(こくふう)…日本式、和風

局部(きょくぶ)…一部分

存(そん)する…残している

フロック…『「フロックコート」の略』(日精)

紋付(もんつき)…家紋の入った礼装用の和服

前垂(まえだれ)…前掛け、エプロン

憮然(ぶぜん)…驚き呆れて呆然とする

歎/嘆(たん)ず…なげくこと

沈厳高調(ちんげんこうちょう)…おごそかで落ち着いた印象の、格調高い

 

物質的(ぶっしつてき)...『物質に関するさま』(日精)*2

相容れざる分子…お互い受け入れられない要素

撞突(とうとつ/しょうとつ?)…ぶつかり合うこと。『突くこと。つきあたること』(日国)*3 *4

外部の刺激…欧米から文化が流れ込んでくること

人心(じんしん)…世間の人の心、気持ち

持重/自重(じちょう)…慎重に振る舞うこと。*5

激浪(げきろう)…激しい波、荒波

自ら殺さざるもの稀なり…精神を失ってしまわない人はめったにいない、ほとんどの人が外からの文化に流れてしまっている

道義(どうぎ)*6…人が行うべき正しい道、道徳。

薄弱(はくじゃく)…弱々しい、頼りない

縛(ばく)す…しばる、好き勝手な行動をしないよう制御する

根蔕/根蒂(こんたい)…『根とへた。一説に「蔕」は「柢」に通じるところから単に根をいう。転じて、物事の土台やよりどころ。根拠。根底』(日国)*7

制(せい)する…取り締まる、支配する

発露者(はつろしゃ)…(内にあるものを具体的に)表現する人

 

誇負(プライド)*8…誇り、自信

尊大(そんだい)…ここでは「尊厳」ほどの意味だろう*9

適(たまた)ま…ときどき、時おり

大声疾呼(たいせいしっこ)…大声で叫び立てる、声高に主張する

負(たの)む…『信頼する、期待する』(現文)

晏逸/安逸(あんいつ)…ダラダラ過ごすこと

遊惰(ゆうだ)…怠けること

渇望(かつぼう)…心から待ち焦がれる

 

思想家(しそうか)...『人生、社会などに対して、深く豊富な思想を有する人。哲学思想などに造詣の深い人。思想者』(日精)*10

高尚(こうしょう)…気高いこと、立派なこと

思弁(しべん)…純粋に頭の中だけで組み立てる考え

幽美(ゆうび)…奥深く神秘的で美しい

懶眠(らんみん)…ダラダラすること。『なまけねむること。のらくらして日々を無為に暮らしていること。惰眠』(日国)

具(ぐ)…手段、道具

消閑(しょうかん)…暇つぶし

器(き)…手段、道具

華美(かび)…派手なこと

卑猥(ひわい)…低俗なこと、卑しい

娯楽(ごらく)する…楽しませる

脳髄(のうずい)…あたま、頭脳

奇異(きい)…変てこ

探偵小説...『ある犯罪や事件を設定し、主人公の探偵の思考や推理、行動によって、犯人または事件の真相などを探りあてる興味を主眼とした小説。たとえばコナン=ドイルの「シャーロック=ホームズの冒険」など。推理小説』(日精)

慰藉(いしゃ)…なぐさめいたわること。*11

大言壮語(たいげんそうご)…実力以上に大きな事を言うこと

胆(きも)を破る…驚かす

作詩家…安っぽい詩人、低俗な詩人

詩人…真の詩人

 

艶語(えんご)…男女の色っぽい話

情話(じょうわ)…恋愛についての物語

陋小(ろうしょう)…狭苦しい。『狭くて小さいこと。醜くて小さいこと。また、そのさま』(日国)

箱庭(はこにわ)…ミニチュアの庭が入った箱。『浅い箱の中に土砂を入れ、小さな木や草を植え、庭園・山水の景を模したもの』(日国)

講(こう)ず…詩歌を読み上げる

須(すべから)く…当然~すべきだ、是非とも

十七文字(じゅうしちもじ)…俳句のこと

甘(あま)んずる…我慢して受け入れる

頓智(とんち)…とっさに出す知恵

三十一文字(みそひともじ)…和歌、短歌のこと

雪月花(せつげつか)…冬の雪と秋の月と春の花、四季折々の眺め

詩論(しろん)…詩についての理論・評論

愚癡/愚痴(ぐち)…愚かなこと、言っても仕方ないことを嘆くこと

 

駆(か)る…駆り立てる、突き動かす

幽遠(ゆうえん)…計り知れないほど奥深いこと

寧(むし)ろ…どちらかと言えば

湯屋(ゆや)…銭湯のこと

番頭(ばんとう)…銭湯の受付の人

裸躰/裸体(らたい)…はだかの身体、ヌード

跫音/足音(あしおと)…歩くときの音

芳年(ほうねん)…浮世絵師の月岡芳年(つきおかよしとし)のこと。*12

美人絵(びじんえ)…女性の美を強調した絵、美人画

アンコロ…あんころもち(外側をアンコで覆ったもち)のこと

珍味(ちんみ)…ここでは非常に美味しい食べ物のこと

 

*1:「せきが」の読みを採るのが「現文」、「あかがわら」は「日国」による読みである。

*2:『明治文学管見』物質的文明の輸入包みを決するが如く

*3:『最後の勝利者は誰ぞ』定限ある時間の間撞突なからしむるのみ

*4:なお「選集」では「しょうとつ」と当てられているが、これは透谷の手によるものではなく「現在の読者のために全く便宜上ふったもの」とされている。確かに意味の上では「衝突」の類語ではあるが、日国などのように独立した別語と考えるのが妥当だろう

*5:「自重」の表記は上の「撞突/衝突」と似た問題で、日国など区別する辞書もあるが、これは表記の揺れの範疇と見てもよいと思われる

*6:『明治文学管見』では「モーラル」とのルビが振られている。もちろんmoralのことだろう

*7:『「マンフレッド」および「フォースト」』其厭世的迷想の根蔕を固ふしたるを見るべし

*8:本来の読みは「こふ」だが、ここでは透谷自身が特別な読みを当てている

*9:本来は偉そうな態度を指すが、文脈からすると否定的なニュアンスは薄いと考えられる

*10:『各人心宮内の秘宮』真理に踏迷う思想家もなかるべからず

*11:「快楽は即ち慰藉(Consolation)なり」という一説が『明治文学管見』に見える

*12:当時の新聞などに挿絵を描いていた

北村透谷『漫罵』

表記のみを現代的に改めた(仮名遣いや送り仮名など)。

 

一夕友と共に歩して銀街を過ぎ、木挽町に入らんとす。第二橋あたりに至れば都城の繁熱ようやく薄らぎ、家々の燭影水に落ちて、はじめて詩興生ず。われ橋上に立って友を顧み、共に岸上の建家を品す。あるいは白亜を塗するあり、あるいは赤瓦を積むもあり、洋風あり、国風あり、あるいは半洋、あるいは局部において洋、あるいは全く洋風にしてしかして局部のみ国風を存するあり。さらに路上の人を見るに、あるいは和服、あるいは洋服、フロックあり、背広あり、紋付きあり、前垂れあり。さらにその持つものを見るに、ステッキあり、洋傘あり、風呂敷あり、カバンあり。ここにおいて、われ憮然として嘆ず、今の時代に沈厳高調なる詩歌なきはこれをもってにあらずや。

 

今の時代は物質的の革命によりて、その精神を奪われつつあるなり。その革命は内部において相容れざる分子の撞突より来たりしにあらず。外部の刺激に動かされて来たりしものなり。革命にあらず、移動なり。人心おのずから自重するところあるあたわず、知らず知らずこの移動の激浪に投じて、自ら殺さざる者まれなり。その本来の道義は薄弱にして、もって彼らを縛するに足らず、その新来の道義は根蒂を生ずるに至らず、もって彼らを制するに堪えず。その事業その社交、その会話その言語、ことごとく移動の時代を証せざるものなし。かくのごとくにして国民の精神はよくその発露者なる詩人を通じて、文字の上にあらわれ出でんや。

 

国としてのプライド、いずくにかある。人種としての尊大、いずくにかある。民としての栄誉、いずくにかある。たまたま大声疾呼して、国を誇り民をたのむ者あれど、彼らは耳を閉じてこれを聞かざるなり。彼らの中に一国としての共通の感情あらず。彼らの中に一民としての共有の花園あらず。彼らの中に一人種としての共同の意志あらず。安逸は彼らの宝なり、遊惰は彼らの糧なり。思想のごとき、彼らは今日において渇望する所にあらざるなり。

 

今の時代に創造的思想の欠乏せるは、思想家の罪にあらず、時代の罪なり。物質的革命に急なるの時、いずくんぞ高尚なる思弁に耳を傾くるの暇あらんや。いずくんぞ幽美なる想像に耽るの暇あらんや。彼らは哲学をもって懶眠の具となせり、彼らは詩歌をもって消閑の器となせり。彼らが目は舞台の華美にあらざれば奪うことあたわず。彼らが耳は卑猥なる音楽にあらざれば娯楽せしむることあたわず。彼等が脳髄は奇異を旨とする探偵小説にあらざればもって慰謝を与うることなし。しからざれば大言壮語して、もって彼らの胆を破らざるべからず。しからざれば平凡なる真理と普通なる道義を繰り返して、彼らの心を飽かしめざるべからず。彼らは詩歌なきの民なり。文字を求むれども、詩歌を求めざるなり。作詩家を求むれども、詩人を求めざるなり。

 

なんじ詩人となれる者よ、なんじ詩人とならんとする者よ、この国民が強いてなんじを探偵の作家とせんとするを怒るなかれ、この国民がなんじによりて艶語を聞き、情話を聞んとするを怪しむなかれ、この国民がなんじを雑誌店上の雑貨となさんとするを恨むなかれ、ああ詩人よ、詩人たらんとする者よ、なんじらは不幸にして今の時代に生れたり、なんじの雄大なる舌は、陋小なる箱庭の中にありて鳴らさざるべからず。なんじの運命はこの箱庭の中にありてよく講じ、よく歌い、よく罵り、よく笑うに過ぎざるのみ。なんじはすべからく十七文字をもって甘んずべし、よく軽口を言い、よく頓知を出すをもって満足すべし。なじはすべからく三十一文字をもって甘んずべし、雪月花を繰り返すをもって満足すべし、煮え切らぬ恋歌を歌うをもって満足すべし。なんじがドラマを歌うは贅沢なり、なんじが詩論をなすは愚痴なり、なんじはある記者が言えるごとく偽りの詩人なり、怪しき詩論家なり、なんじを罵る者かく言えり、なんじもまた自ら罵りてかく言うべし。

 

なんじを囲める現実は、なんじを駆りて幽遠に迷わしむ。しかれども汝は幽遠のことを語るべからず、汝の幽遠を語るは、むしろ湯屋の番頭が裸体を論ずるにしかざればなり。汝の耳には兵隊の足音をもって最上の音楽として満足すべし、なんじの目には芳年流の美人絵をもって最上の美術と認むべし、なんじの口にはアンコロをもって最上の珍味とすべし、ああ、なんじ、詩論をなす者よ、なんじ、詩歌に労する者よ、帰れ、帰りてなんじが店頭に出でよ。

 

『海辺のカフカ』 クロスリファレンス

海辺のカフカ

  

あなたが世界の縁にいるとき

私は死んだ火口にいて

ドアのかげに立っているのは

文字をなくした言葉。

 

眠るとかげを月が照らし

空から小さな魚が降り

窓の外には心をかためた

兵士たちがいる。

 

(リフレイン)

海辺の椅子にカフカは座り

世界を動かす振り子を想う。

心の輪が閉じるとき

どこにも行けないスフィンクスの

影がナイフとなって

あなたの夢を貫く。

 

溺れた少女の指は

入り口の石を探し求める。

蒼い衣の裾をあげて

海辺のカフカを見る。

  

新潮社『海辺のカフカ 上』

p.392,393より(原文縦書き)

 

 

あなたが世界の縁にいるとき

→私が世界のぎりぎりの縁まで追いつめられた時間でした。

(岡持先生の手紙。12章、p.172)

 

→ほどなく彼は意識の周縁の縁を、蝶と同じようにふらふらとさまよい始めた。

(ナカタさん。10章、p.144)

 

→啓示とは日常性の縁を飛び越えることだ。

(カーネルサンダースの台詞。28章、p.81)

 

→僕は蝶になって世界の周縁をひらひらと飛んでいる。

(カフカ。45章、p.336)

 

→わしらは世界の境めに立って共通の言葉をしゃべっておる。

(黒猫トロ。原文「境め」に傍点。48章、p.390)

 

→君はやはり世界の縁まで行かないわけにはいかない。世界の縁まで行かないことにはできないことだってあるのだから。

(カラスと呼ばれる少年。原文ゴシック。49章、p428)

 

 

私は死んだ火口にいて

→僕は死んで、少女と一緒に深い火口湖の底に沈んでいるのだ。

(カフカと佐伯さんの幽霊の描写。23章、p.376,377)

 

→僕ら二人が沈んでいる火口湖の底では、すべてがひっそりとしている。火山の活動が終わったのはずいぶん昔の話だ。

(同上、23章、p.377)

 

→ことばは時のくぼみの中で死んでしまっている。暗い火口湖の底に音もなく積もっている。

(カフカ。31章、p.124,125)

 

 

ドアのかげに立っているのは

→そのように閉ざされた心をもう一度押し開くには、長い歳月と努力が必要になります。

(岡持先生の手紙。12章、p.176)

 

→そこにある窓は僕の心の窓であり、そこにあるドアは僕の心のドアだ。

(カフカ。29章、p.93)

 

→私はあの二つのコードを、とても遠くにある古い部屋の中で見つけたの。そのときにはその部屋のドアは開いていたの

(佐伯さん。31章、p.117)

 

→恋をしている相手について考えると、多少の差こそあれ、いつも哀しい気持ちになる。ずっと昔に失われてしまった懐かしい部屋に足を踏み入れたような気持ちになる。

(大島さん。31章、p.120)

 

→彼女は遠い部屋のドアを開け、そこの壁に、二つの美しい和音がとかげのようなかっこうで眠っているのを目にした。

(佐伯さん。42章、p.294)

 

 

文字をなくした言葉。

→小さい頃に事故にあいまして、それから頭が悪くなったのです。字だってかけません。

(ナカタさん。6章、p.79)

 

→オレだって自慢じゃないけど字なんてかけないね

(黒猫のオオツカさん。同上、p.79)

 

→ナカタは読み書きができませんんで、何も書き記すことはできません...ナカタは猫さんたちと同じであります

(ナカタさん。42章、p.293)

 

→記憶は私たちとは別に、図書館が扱うことなの...私は記憶をぜんぶ燃やしてしまったの

(森の少女。47章、p.375,378)

 

 

眠るとかげを月が照らし

→鏡を見ると、自分の目がとかげのような冷ややかな光を浮かべ、表情がますます硬く薄くなっていくことがわかった。

(カフカ。1章、p.15)

 

→僕の記憶の中では、母の顔の部分だけが暗く、影みたいに塗りつぶされている

(カフカ。25章、p.30)

 

→...二つの美しい和音がとかげのようなかっこうで眠っているのを目にした。彼女はそのとかげたちにそっと指を触れる。

(佐伯さん。42章、p.294)

 

 

空から小さな魚が降り

→空から魚が降ってきた! イワシとアジが2000匹、中野区の商店街に

(新聞記事。21章、p.345)

 

 

窓の外には心をかためた兵士たちがいる。

→回転精度を示すストロボも、少しのあいだ迷っていたが、やがて心をきめたようにしっかりと静止する。

(レコードを聴く場面。23章、p.381)

 

→風のない空を、白いかもめが一羽、心をきめかねるように横切っていく。

(カフカが絵と風景を重ねる場面。25章、p.22)

 

→「俺はとにかくいけるところまでナカタさんについていこう。仕事なんて知ったことか」と星野さんは心をきめた。

(星野青年。34章、p.176)

 

→ちょうどこのあたりで帝国陸軍の部隊が大がかりな演習をした。...でも数日にわたる演習が終わって点呼がおこなわれたとき、二人の兵隊がいなくなっていた。

(大島さんの台詞。37章、p.217.218)

 

→何があろうと石を開かなくてはならないと私は心を決めたのです。

(佐伯さん。42章、p.291)

 

→やがて二人の兵隊が僕の前に姿を見せる。

(カフカ。43章、p.308)

 

 

(リフレイン) 

 海辺の椅子にカフカは座り

→海辺にいる少年の写実的な絵だった。...白い日よけ帽をかぶり、小振りなデッキチェアに座っている。

(カフカが寝泊まりするゲストルームの油絵。19章、p.297)

 

 

世界を動かす振り子を想う。

→その目は普通に開いていて、左右に動きながら何かを見ています。

(気を失った子供の描写。4章、p.45)

 

→犬は委細かまわず、同じ歩調で、同じ動作で歩き続けた。顔を上げ、耳を立て、睾丸を振り子のようにかすかに揺らせ、ナカタさんが無理なく歩いてついてこられる程度のスピードで。

(黒犬の描写。14章、p.213)

 

→身体は深い眠りを求め、その一方で意識は眠るまいとしている。僕はそのあいだを振り子のように揺れる。

(カフカ。25章、p.21)

 

→彼らは前をむいて一心不乱に歩きつづける。...兵隊たちが背中にかけた小銃の黒い銃身が、目の前で規則正しく左右に揺れる。

(兵隊について行くカフカ。45章、p.331)

 

 

心の輪が閉じるとき

→私たちは完全な円の中に生きていました。すべてはその円の内側で完結していました。

(佐伯さん。42章、p.291)

 

→僕は閉じた円の中にいる。

(カフカ森の中の町にて。45章、p.350)

 

 

どこにも行けないスフィンクスの

→いちばん大きな雲の形は、うずくまったスフィンクスのように見えなくもない。...それはたしか青年オイディプスがうち負かした相手だ。

(絵を見るカフカ。23章、p.396)

 

→率直に言って、君は砂漠みたいな顔をしている。

(大島さんがカフカに向かって。49章、p.420)

 

 

影がナイフとなって

→家を出るときに父の書斎から黙って持ち出したのは...鋭い刃先をもった折り畳み式のナイフ。

(カフカ。1章、p.10)

 

→彫刻家、田村浩一氏刺される...肉を切るための鋭いナイフで胸の数カ所を深く刺され...

(新聞記事。21章、p.337)

 

ハナミズキの枝が小刻みに揺れ、多くの刃物が闇の中に光る。

(カフカによる図書館の外の描写。29章、p.93)

 

→少女を前にしていると、僕の胸は凍ったナイフの刃先を突き立てられたような痛みを感じる。

(カフカ。45章、p.348)

 

 

あなたの夢を貫く。

→僕は夢も見ない。そういえばもうずいぶん長いあいだ夢というものを見ていない。

(カフカ。5章、p.75)

 

→昏睡しているといっても、夢を見ることもないようです。

(ナカタ少年。8章、p.113)

 

→In dreams begin the responsibilities.

(大島さんによるイェーツの引用。15章、p.227)

 

→夢の中から責任は始まる。その言葉は僕の胸に響く。

(カフカ。原文1文目全体に傍点。同上)

 

 

溺れた少女の指は

→予言は暗い秘密の水のようにいつもそこにある。...君はその残酷な水の氾濫の中で溺れ、あえぐことになる。

(カラスと呼ばれる少年。原文ゴシック。1章、p.16)

 

 

入り口の石を探し求める。

→「場所はよしと。で、これから何をするの?」「入り口の石をみつけようと思います」

(ホシノ青年とナカタさん。24章、p.18)

 

→そういう別の世界に入るための入り口を、どこかで見つけることができるんじゃないかって

(佐伯さん、25章、p.39)

 

→ナカタは出入りをした人間だからです。...ナカタは一度ここから出ていって、また戻ってきたのです。

(原文「出入り」に傍点、32章、p.139)

 

→外側のものが楽園の内側に入り込み、内側のものが外に出ていこうとしていました。...だから私はそのような侵入や流出を防ぐために入り口の石を開きました。

(佐伯さん。42章、p.291)

 

 

蒼い衣の裾を上げて

裾の広がった淡いブルーのワンピースを着ている。

(15歳の佐伯さんの幽霊。23章、p.375)

 

裾の短い、ゆるやかなかたちの無地のワンピース、色は淡いブルー。

(19歳の佐伯さんのジャケット写真。23章、p.384)

 

→彼女は裾の長い蒼い服を着ている。ずっと昔どこかで着たことがあるドレスだ。

(現在の佐伯さんによる回想。42章、p.294)

 

 

海辺のカフカを見る。

→佐伯さんはその絵の中の少年が漂わせている謎めいた孤独を、カフカの小説世界に結びついたものとしてとらえたのだろう...不条理の波打ちぎわをさまよっているひとりぼっちの魂。たぶんそれがカフカという言葉が意味するものだ

(カフカ。23章、p.396)

 

 

兵士・空から降る魚・(海辺の)カフカ・入り口の石などは話の筋に深く関わっており

上で挙げた箇所の他にも随所で描写があるが割愛した。

一例として25章は如上の一節の他にも入り口/出口についての言及が顕著。 

翻って「世界を動かす振り子」などは手がかりが皆無に近いため

常識的には無関係に思える表現も余さず拾った。

ページ数はハードカバーに基づく。原文は縦書き。