『海辺のカフカ』 クロスリファレンス
『海辺のカフカ』
あなたが世界の縁にいるとき
私は死んだ火口にいて
ドアのかげに立っているのは
文字をなくした言葉。
眠るとかげを月が照らし
空から小さな魚が降り
窓の外には心をかためた
兵士たちがいる。
(リフレイン)
海辺の椅子にカフカは座り
世界を動かす振り子を想う。
心の輪が閉じるとき
どこにも行けないスフィンクスの
影がナイフとなって
あなたの夢を貫く。
溺れた少女の指は
入り口の石を探し求める。
蒼い衣の裾をあげて
海辺のカフカを見る。
新潮社『海辺のカフカ 上』
p.392,393より(原文縦書き)
あなたが世界の縁にいるとき
→私が世界のぎりぎりの縁まで追いつめられた時間でした。
(岡持先生の手紙。12章、p.172)
→ほどなく彼は意識の周縁の縁を、蝶と同じようにふらふらとさまよい始めた。
(ナカタさん。10章、p.144)
→啓示とは日常性の縁を飛び越えることだ。
(カーネルサンダースの台詞。28章、p.81)
→僕は蝶になって世界の周縁をひらひらと飛んでいる。
(カフカ。45章、p.336)
→わしらは世界の境めに立って共通の言葉をしゃべっておる。
(黒猫トロ。原文「境め」に傍点。48章、p.390)
→君はやはり世界の縁まで行かないわけにはいかない。世界の縁まで行かないことにはできないことだってあるのだから。
(カラスと呼ばれる少年。原文ゴシック。49章、p428)
私は死んだ火口にいて
→僕は死んで、少女と一緒に深い火口湖の底に沈んでいるのだ。
(カフカと佐伯さんの幽霊の描写。23章、p.376,377)
→僕ら二人が沈んでいる火口湖の底では、すべてがひっそりとしている。火山の活動が終わったのはずいぶん昔の話だ。
(同上、23章、p.377)
→ことばは時のくぼみの中で死んでしまっている。暗い火口湖の底に音もなく積もっている。
(カフカ。31章、p.124,125)
ドアのかげに立っているのは
→そのように閉ざされた心をもう一度押し開くには、長い歳月と努力が必要になります。
(岡持先生の手紙。12章、p.176)
→そこにある窓は僕の心の窓であり、そこにあるドアは僕の心のドアだ。
(カフカ。29章、p.93)
→私はあの二つのコードを、とても遠くにある古い部屋の中で見つけたの。そのときにはその部屋のドアは開いていたの
(佐伯さん。31章、p.117)
→恋をしている相手について考えると、多少の差こそあれ、いつも哀しい気持ちになる。ずっと昔に失われてしまった懐かしい部屋に足を踏み入れたような気持ちになる。
(大島さん。31章、p.120)
→彼女は遠い部屋のドアを開け、そこの壁に、二つの美しい和音がとかげのようなかっこうで眠っているのを目にした。
(佐伯さん。42章、p.294)
文字をなくした言葉。
→小さい頃に事故にあいまして、それから頭が悪くなったのです。字だってかけません。
(ナカタさん。6章、p.79)
→オレだって自慢じゃないけど字なんてかけないね
(黒猫のオオツカさん。同上、p.79)
→ナカタは読み書きができませんんで、何も書き記すことはできません...ナカタは猫さんたちと同じであります
(ナカタさん。42章、p.293)
→記憶は私たちとは別に、図書館が扱うことなの...私は記憶をぜんぶ燃やしてしまったの
(森の少女。47章、p.375,378)
眠るとかげを月が照らし
→鏡を見ると、自分の目がとかげのような冷ややかな光を浮かべ、表情がますます硬く薄くなっていくことがわかった。
(カフカ。1章、p.15)
→僕の記憶の中では、母の顔の部分だけが暗く、影みたいに塗りつぶされている
(カフカ。25章、p.30)
→...二つの美しい和音がとかげのようなかっこうで眠っているのを目にした。彼女はそのとかげたちにそっと指を触れる。
(佐伯さん。42章、p.294)
空から小さな魚が降り
→空から魚が降ってきた! イワシとアジが2000匹、中野区の商店街に
(新聞記事。21章、p.345)
窓の外には心をかためた兵士たちがいる。
→回転精度を示すストロボも、少しのあいだ迷っていたが、やがて心をきめたようにしっかりと静止する。
(レコードを聴く場面。23章、p.381)
→風のない空を、白いかもめが一羽、心をきめかねるように横切っていく。
(カフカが絵と風景を重ねる場面。25章、p.22)
→「俺はとにかくいけるところまでナカタさんについていこう。仕事なんて知ったことか」と星野さんは心をきめた。
(星野青年。34章、p.176)
→ちょうどこのあたりで帝国陸軍の部隊が大がかりな演習をした。...でも数日にわたる演習が終わって点呼がおこなわれたとき、二人の兵隊がいなくなっていた。
(大島さんの台詞。37章、p.217.218)
→何があろうと石を開かなくてはならないと私は心を決めたのです。
(佐伯さん。42章、p.291)
→やがて二人の兵隊が僕の前に姿を見せる。
(カフカ。43章、p.308)
(リフレイン)
海辺の椅子にカフカは座り
→海辺にいる少年の写実的な絵だった。...白い日よけ帽をかぶり、小振りなデッキチェアに座っている。
(カフカが寝泊まりするゲストルームの油絵。19章、p.297)
世界を動かす振り子を想う。
→その目は普通に開いていて、左右に動きながら何かを見ています。
(気を失った子供の描写。4章、p.45)
→犬は委細かまわず、同じ歩調で、同じ動作で歩き続けた。顔を上げ、耳を立て、睾丸を振り子のようにかすかに揺らせ、ナカタさんが無理なく歩いてついてこられる程度のスピードで。
(黒犬の描写。14章、p.213)
→身体は深い眠りを求め、その一方で意識は眠るまいとしている。僕はそのあいだを振り子のように揺れる。
(カフカ。25章、p.21)
→彼らは前をむいて一心不乱に歩きつづける。...兵隊たちが背中にかけた小銃の黒い銃身が、目の前で規則正しく左右に揺れる。
(兵隊について行くカフカ。45章、p.331)
心の輪が閉じるとき
→私たちは完全な円の中に生きていました。すべてはその円の内側で完結していました。
(佐伯さん。42章、p.291)
→僕は閉じた円の中にいる。
(カフカ森の中の町にて。45章、p.350)
どこにも行けないスフィンクスの
→いちばん大きな雲の形は、うずくまったスフィンクスのように見えなくもない。...それはたしか青年オイディプスがうち負かした相手だ。
(絵を見るカフカ。23章、p.396)
→率直に言って、君は砂漠みたいな顔をしている。
(大島さんがカフカに向かって。49章、p.420)
影がナイフとなって
→家を出るときに父の書斎から黙って持ち出したのは...鋭い刃先をもった折り畳み式のナイフ。
(カフカ。1章、p.10)
→彫刻家、田村浩一氏刺される...肉を切るための鋭いナイフで胸の数カ所を深く刺され...
(新聞記事。21章、p.337)
→ハナミズキの枝が小刻みに揺れ、多くの刃物が闇の中に光る。
(カフカによる図書館の外の描写。29章、p.93)
→少女を前にしていると、僕の胸は凍ったナイフの刃先を突き立てられたような痛みを感じる。
(カフカ。45章、p.348)
あなたの夢を貫く。
→僕は夢も見ない。そういえばもうずいぶん長いあいだ夢というものを見ていない。
(カフカ。5章、p.75)
→昏睡しているといっても、夢を見ることもないようです。
(ナカタ少年。8章、p.113)
→In dreams begin the responsibilities.
(大島さんによるイェーツの引用。15章、p.227)
→夢の中から責任は始まる。その言葉は僕の胸に響く。
(カフカ。原文1文目全体に傍点。同上)
溺れた少女の指は
→予言は暗い秘密の水のようにいつもそこにある。...君はその残酷な水の氾濫の中で溺れ、あえぐことになる。
(カラスと呼ばれる少年。原文ゴシック。1章、p.16)
入り口の石を探し求める。
→「場所はよしと。で、これから何をするの?」「入り口の石をみつけようと思います」
(ホシノ青年とナカタさん。24章、p.18)
→そういう別の世界に入るための入り口を、どこかで見つけることができるんじゃないかって
(佐伯さん、25章、p.39)
→ナカタは出入りをした人間だからです。...ナカタは一度ここから出ていって、また戻ってきたのです。
(原文「出入り」に傍点、32章、p.139)
→外側のものが楽園の内側に入り込み、内側のものが外に出ていこうとしていました。...だから私はそのような侵入や流出を防ぐために入り口の石を開きました。
(佐伯さん。42章、p.291)
蒼い衣の裾を上げて
裾の広がった淡いブルーのワンピースを着ている。
(15歳の佐伯さんの幽霊。23章、p.375)
裾の短い、ゆるやかなかたちの無地のワンピース、色は淡いブルー。
(19歳の佐伯さんのジャケット写真。23章、p.384)
→彼女は裾の長い蒼い服を着ている。ずっと昔どこかで着たことがあるドレスだ。
(現在の佐伯さんによる回想。42章、p.294)
海辺のカフカを見る。
→佐伯さんはその絵の中の少年が漂わせている謎めいた孤独を、カフカの小説世界に結びついたものとしてとらえたのだろう...不条理の波打ちぎわをさまよっているひとりぼっちの魂。たぶんそれがカフカという言葉が意味するものだ
(カフカ。23章、p.396)
兵士・空から降る魚・(海辺の)カフカ・入り口の石などは話の筋に深く関わっており
上で挙げた箇所の他にも随所で描写があるが割愛した。
一例として25章は如上の一節の他にも入り口/出口についての言及が顕著。
翻って「世界を動かす振り子」などは手がかりが皆無に近いため
常識的には無関係に思える表現も余さず拾った。
ページ数はハードカバーに基づく。原文は縦書き。